千鳥文学碑
昭和38年(1963)建立。
明治38年(1905)失意の三重吉は心を癒すため能美島に渡った。
碑文の「親のそばでは泣くにも泣けぬ、沖の小島へ行って泣く」は
親友の加計正文氏に送った心境の一節である。
島では、この下田家に寄寓し、新しいロマンが芽ばえ、処女作「千鳥」が生まれた。
碑は当時の町長相野田敏之氏、俳人杉山赤富士氏の努力により建立された。